09/08/2026
猫も杓子も忙しいのが世の常ですが笑
忙しさには、ふた通りあると思います
ひとつは、一時的にタスクが急増するような、あくまでも「非常事態である」と判断できる種類の忙しさ。
これには、自分に中でどこかでピリオドを打つ意思があって、終わりが見えるから、その場しのぎでなんとかなる類い。
もうひとつがちょっと厄介。
少しずつタスクが増えていく忙しさです。
変化が緩やか故に、ある時から自分の許容量を超えていても気が付かない類い。
直近で自分が上げた成果を理由に、むしろ「これくらいならできる」と受け入れることが重なる。
この忙しさこそが、生活の基礎を静かに蝕んでいきます。
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多忙がまず崩していく基礎
人や社会は、24時間という限られた枠の中で回っています。
その枠の中で多忙が幅を利かせれば、
自然と他の時間を削るしかなくなる。
その時、真っ先に“リストラ対象”になるのが、睡眠と食事です。
そう、忙しさは、生活の基礎から壊していくんです。
睡眠と食事は心身の土台。
ここが崩れるほど、思考は鈍り、効率は落ちます。
忙しさを理由に基礎を削るほど、
実は仕事の質は低下していきます。
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許容範囲を超えていると認めること
多忙が自分の許容範囲を超えていることを、
人はなかなか認められません。
「みんなこれくらい出来ている」と思ってしまったり、
責任感や人間関係が邪魔をしたり。
でも、
自分が見ている他者の姿は、その人のごく一部に過ぎないので、
今あなたが見ている人のタスクは、
もしかしたら他の部分で余白がたくさん確保されているかもしれない。
だから、人を物差しにせず、
自分の物差しで自分を測ることが大事です。
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枠を設けるという発想
ノルマを完遂することを目標にすると、
「時間の制限」の優先順位が�