17/01/2024
「老舗の最期のご奉公」
私が、Facebookに中国新聞の記事をのせることも、私がここで、経営について書くこともなにもかも、良いふうに思われない方がいらっしゃることは存じております。でも、書く事が悪い理由がわかりません。何人かの親しい人にも言われましたが、書いたからといって、ここから私が駄目になる要素が見つからないからです。
もう、私はゼロなのです。
もし、それをご存知であれば、ぜひともご教授お願いしたします。
これらの記述はただ、状況の情報提供であります。
社長として責任は私にあるといつも思って行動しておりました。忠告も先輩から受けました。その点については素直に従い現在に至ります。
しかし、自分のことは自分のこと。会社の事は、会社の事。
でも、会社の事は自分のこと。そうも思って暮らしていました。
ですから、わたしの身の回りの文具なども、全部自腹です。
会社用に使うPCなども自分のものです。
贅沢するのは、パンを製造する機械だけです。
少なくとも商売人としてのプライドは、
お客様に喜んでいただけること
従業員に誠実であること
業者さんに迷惑をかけないこと
の3点であり、最後に残ったお足を頂戴するのが経営者というのが、私の基本スタイルでした。
といって、会社を潰すとは何事かと言われることは承知しておりました。
しかし、父が生きているうちは潰したくはなかったのです。父のプライドに傷をつけたくないために、に会社を潰させたくなかったのです。
父はプライド高い人でしたので、私のような汚れ役は出来なかったでしょう。私はなにせ、イオン店も閉店させ、本店も倒産させた男です。
イオン店を出店せず、私がフランスにもう3年ぐらい修行してから帰国した後、とっとと会社を分けて、新会社の社長をゆずり、本店を行き着くとこまで行って倒産する手もあったわけです。そうすれば、資産も残り、今でも小さいながらオギロパンは生き延びていたことでしょう。
その父の7回忌となります。
そこから7年しか、もたせられなかったのか、7年持てたのかはわかりませなんが、「オギロパン 代表取締役会長」として、手向けの花を棺桶いっぱいに詰め込み、山へ登りました。叔父がうちの父に泣き縋っている姿を見て、あんなにやり合っていても、やっぱり兄弟なんだなあと、感じました。
2000年に叔父を会社から追い出したのは、私です。経営的に一致する部分がなく、8月に叔父は会社を退社しましした。
それからというもの、親戚づきあいもなくなり、私も本当に孤独な戦いをしいられました。
そして、7年前、父が亡くなりました。
火葬場に登ったおり、叔父が喉仏の骨を骨壷に入れてくれました。私が譲ったのです。あんなに喧嘩していた兄弟が、こんなになるなんて・・・。と思い、叔父の気持ちを尊重した結果でした。
私にかかっていた呪いが一つ解けた瞬間でした。
その後、祖母が、亡くなったとき、いとこ一同がほぼ20年ぶりに集まり、普通に話している瞬間(本当に呪いが解けたんだな)と思ったものです。
いとこ同士で話をしていると、まるで小さかった頃に帰ったようで楽しかった。そして、私は、長男中の長男だったんだ、と改めて気付かされました。
改めて申しあげます。
オギロパンFBでは、経営状態から従業員への解雇、倒産まで(まだですが)、赤裸々に書いております。これは、このような時代、そんな会社がたくさんあり、うちのような100年企業でも駄目なときは駄目。こうなっていくんだよという意味で記録しています。
こんな体験は、やってみないとわからないし、そうでなかったら、絶望して命を犠牲にする経営者もおられるでしょう。
私はそれが嫌なので、あえて、あけっぴろげで、こんなことが、起こるんだよ、と、報告しているのです。命あってのなんとやら。そして、会社は精算しなければ、取引相手にも、不利になります。
そして、最期の責任は、私がすべて持つ。
それが、老舗の最期の商いをしている方々へのご奉公です。
株式会社オギロパン 元代表取締役
荻路新吾 拝