03/07/2026
腸と地球をつなぐ食べ方。プラネタリーヘルスと全粒粉パン
プラネタリーヘルスという言葉を、私は最近知りました。 人の健康と地球の健康を、別々ではなく、ひとつながりのものとして考える言葉です。 言葉としては2015年ごろから広がってきた比較的新しい概念ですが、その根っこにある感覚は、決して新しいものではないように思います。 目次 自然食の世界に入った頃 自然の中で、人はどう関わるのか いちばん身近な自然としての身体 合気道で感じる、目に見えないつながり プラネタリーヘルスという言葉に出会って 腸と土は、どこか似ている 全粒粉パンを焼くこと 小さな選択としての食べ方 自然食の世界に入った頃 私は14歳の頃、母・イソジさんに導かれるようにして、オーガニックや自然食の世界に入りました。 その後、自然食品や自然雑貨を扱う仕事を経て、自家製のパンを焼き、皆さまにお届けするようになりました。 その頃から、ベジタリアン、ローフード、マクロビオティック、瞑想や気功など、さまざまな考え方や健康法に出会ってきました。 けれど私は、どれかひとつの考え方を特別に採用したり、それだけを正しいものとして取り入れたりすることはありませんでした。 「自然食とは何だろう」「オーガニックとは何だろう」「自然なものを食べるとは、どういうことなのだろう」 そんなことを、ずっと自分なりに考えてきたように思います。 一時期、そうした世界から少し離れ、ITの仕事だけに打ち込んでいた時期もありました。 それでも、暮らしの底のほうでは、人間が自然の中で、自然の循環の中に存在しているとはどういうことなのかを、ぼんやりと考え続けていました。 根底にあったのは、何かの主義や思想というよりも、大きな循環の中に、できれば自分も入っていたいという思いでした。 100%正しくなくてもいい。完璧でなくてもいい。でも、その輪の中に少しでも参加していたい。 そんな感覚が、昔から自分の中にあったように思います。 自然の中で、人はどう関わるのか ある時期、山奥で一年ほど暮らし、自然農でお米や野菜を作っていたことがあります。 そのまま山の自然の中に定住して、農的な暮らしをしていこうと思い立ったこともありました。 自然農というと、人の手をできるだけ入れず、自然のままに近い形で作物を育てるイメージがあります。 けれど、実際に自然の中で暮らし、土に触れ、種をまき、草を見て、作物を育てていると、たとえ自然農であっても、そこには必ず人の手が入るのだと感じるようになりました。 種をまくこと。草を刈ること。水を見て、土を見て、収穫すること。 それは自然を壊すための操作ではなく、自然との関係の中で、人間が人間として関わる営みなのだと思います。 自然に生きるということは、自然に完全に溶け込んで、人間の営みを消してしまうことではないのかもしれません。 自然から離れることでもなく、自然と一体化したつもりになることでもなく、人として自然にどう関わるのか。 そこに、人間らしさのようなものがあるのかもしれない。 人間が自然の中で何かを感じ、考え、手を動かし、関わっていくことの中に、人間の本来性のようなもの、自分らしさのようなものもあるのではないかと感じるようになりました。 いつかまた農的なものへ戻るだろうという感覚は、今もどこかにあります。 けれど一度、私は町の生活へ戻ってきました。 いちばん身近な自然としての身体 町で暮らす中で、いちばん身近にある自然は、やはり自分の身体なのだと思うようになりました。 山や畑に行けば、自然を感じることはできます。 けれど、町で暮らしていても、自然は遠くにだけあるものではありません。 呼吸すること。歩くこと。食べること。眠ること。誰かと向き合うこと。 身体そのものが、すでに自然の一部です。 自然を感じるためには、山や畑だけでなく、自分の身体を使うことが大切なのではないか。 そんな思いから始めたのが、合気道の稽古でした。 合気道で感じる、目に見えないつながり 合気道は、かれこれ15年ほど続けています。 今も継続して稽古に通っています。 合気道は少し不思議な武道です。 相手を倒すことが目的ではなく、相手と気を合わせ、流れを感じ、技をかける側も、かけられる側も、互いに気持ちよく動いていく。...
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